紅蓮の父親、ロンさんのあれこれ。 その他、家族のあれこれ。
私の甥っ子族は、何が楽しいのかわからないが隙あらばじいちゃんの家に遊びに行ってるようで…
三人とも、ロンさん大好き。もちろん、ばあちゃんも好き。
だけど、じいちゃんとばあちゃんとどっちが甘いか知っている。もちろん、ロンさんだ。

紅蓮が子供の頃。
高松からばあちゃん(この場合は、ぽねさん側)が来るときは、とても楽しみだったのを覚えてる。
ばあちゃんは、いつも兄には駅弁をお土産に持ってきていた。
私と弟には、きのこの山だった。きっとキオスクで買ったんだろうな。
それでも、きのこの山をもらえるのが嬉しかった。
そして、「自分も兄ちゃんぐらいの歳になったら、駅弁にしてもらえるかも!」って期待した。
駅弁が羨ましかったわけではなく、駅弁の中のらっきょうが欲しかっただけ(笑)

今思えば、兄ちゃんらっきょうだけくれよ~って言えばよかったんだけど、あの頃兄ちゃんが嬉しそうに食べている駅弁は、特別なものだという気がして横取りするなんてとんでもないものだった。
自分が兄貴ぐらいになったとき、ばあちゃんはたびたび病院のなかだった気がする。

じいちゃん(ぽねさん側)の記憶は一切ない。私が生まれる前に、すでにいなかったから。
写真で見る限りでは、ばあちゃんよりは優しそうな感じがしたけれど、実際のところはわからない。
子供の頃は、さほど考えたこともなかったけれど、いまこの歳になってみて「じいちゃんが生きてたらな」と思うことは、よくある。
じいちゃんはお坊さんだったそうだ。といっても頭丸めてるわけじゃなかったみたいだけど、そのへんはよく知らない。丸めていようがいまいが、お坊さん。
今もし元気だったら何歳になるのかわからんけど、悩んだ時にじいちゃんだったらどんな話を聞かせてくれただろうと思うことはある。

ばあちゃんは、優しかった。でも、結構厳しいところもあって、真冬のクソ寒いなか庭の水道で、兄弟の靴を洗うのは女の子のあんたの仕事とかいうて、兄貴や弟の上履きとか体育館ばきとか洗ったなぁ。
でもまあ、兄貴が自分で洗うわけもない。弟が自分で洗えるわけがない。
目に入れても痛くないぐらい可愛かった弟の上履きは、兄のよりも白く仕上げた。

あと、忘れもしない冬のこと。
宿題をしていた私に向かった突然ばあちゃんが「書き順が違う!」って言い出して、宿題中なのに「け」の文字を延々練習させられた。なんだったんだ、あれは。「け」やで「け」。
自分も、どんな書き順で書いてたんやほんま。

でもまあ。
ばあちゃんが高松から来るときはとても楽しみだった。
ばあちゃんがいるあいだは、一緒にバスに乗ってお買いものに行くのも好きだった。
ばあちゃんは、お菓子を買ってくれて当時50円ぐらいのガチャポンを3回ぐらいやらせてくれた。
今思えば、ばあちゃん小遣いあったんかなぁ?子供ってそんなところは考えないからな。
子供というのは、「大人はお金を持っている」と思っている生き物だ。
それは今、自分の甥っ子たちを見ていてよくわかる。
「ちゃんちゃんがかってくれる」打出の小槌があるわけではないんだよ、君たち。

ばあちゃんが来た時は、ばあちゃんのお布団で一緒に寝るのも好きだった。
でも、兄と常に奪い合い。今日は兄ちゃん。明日は私やで!!っていう感じ。
学校から帰って、ばあちゃんが高松へ帰ってたときは、つまらなくなったと思ったことだ。

ばあちゃんが亡くなった時は、相当落ち込んだ。
お葬式が終わって学校に出た日。私は昼休みに泣いた。
でも、不思議なことに49日が終わるまで私は常に人の気配を感じていた。
だから、ばあちゃんがそこにいるんだと思って過ごしていた。
49日を過ぎて、その気配は嘘のように消えた。
ばあちゃんが、そろそろ次の旅に出るんだろうと思った。

ばあちゃんに会えるのを楽しみにしてた。それはきっと離れていたからだろう。

・・・すごく近くにいるのに、何が楽しいんだ、甥っ子たちよ。
でも、近かろうが遠かろうがじいちゃんばあちゃん好きであることは、良いことだと思う。

もう一方のじいさん、ばあさん。これはロンさん側。
あまり、記憶にない。じいちゃんは私が小学校2年生ぐらいの時に亡くなった。
ばあちゃんは、二十になるかそこらで亡くなった。
あんまり楽しかった記憶はない。特に、じいちゃんとの思い出は一切ない。
おぼろげに浮かんでくるのは、学校みたいな建物の個室(病院だったのか、老人の福祉施設だったのかわからんけど)に、じいちゃんがいて「はよう帰れ」と言われたのだけは、なんか記憶にある。
懐いていたという自覚もないし、懐きたいと思えた相手でもなかった気がする。

ばあちゃんとも、そんなに楽しかった記憶はない。
ある程度大きくなってからは、ちょっと話すこともあったけど。
「りこもんじゃ」って言ってたな。りこもん。お利口さんってことやけど。
ほんまに、そう思っていたのかどうかはわからない。口癖だったのかもしれない。

それでも、ロンさんの親だ。
それなりに愛想笑いしてそれなりに話をして、隣に座り持っていたチョコレートをわけあって食べたこともある。

だけど、こっちのばあちゃんが亡くなった時、私はちっとも泣かなかった。
「あ~。終わったんだなぁ」って思った。
出来損ないの孫は、それなりに気を使ってきた。それが終わった。
「出来損ないでも、あなたたちが可愛がっていた孫たちよりはお利口さんだったと思うよ。またね」って、家を出るばあちゃんのを見送った。今だからいう。だけど、ロンさんが生きている以上は、墓参りもするよ。

時々、空に向かって語りかける。もちろん、どっちかっていうとぽねさん側のじいちゃんばあちゃんに語りかける方が多いけど、それでもロンさん側のじいちゃんたちにも、声をかけることは忘れない。
ぽねさん側の伯父たちだってそこにいる。

甥っ子たちは、幸せだと思う。
ぽねさんには偉そうなロンさんだけど、まだボケてもない。
手先もまだ器用。色んな遊びを、色んなアイディアを彼らと共に過ごす時間で、彼らに与えてる。
彼らの中では、「じいちゃんやばあちゃんはこの先も永遠に生きている」と思ってるのかもしれないが(笑)

彼らはばあちゃんのつくるご飯が好きだ。
文句を言いながらも、ご飯を作るぽねさんだけれど、お互いにとって幸せなことだと思う。
「ばあちゃんのちょうめん(そうめん)好き」って言ってたのは、けいちゃんだっけか。

結婚して、名古屋に来てから。
時々冬の寒空の下、お年寄りが朝から日暮れすぎるぐらいまで、ベンチにずーっと座ってる光景をよく見かけた。
「孫に合わせてもらえない」って。クリスマスぐらいならと奮発したおもちゃを、取りに来ることもなく嫁から「送ってくれって言われた」ってぼやいてるおばあちゃんがいた。
世の中には、そういうお年寄りもいるんだな・・・ってちょっと残念な気持ちになった。

じいちゃんばあちゃんと触れ合える時間なんて、よほどじいちゃんばあちゃんが若いうちじゃないとそう多くはない。だから、まあ彼らは幸せなことだと思う。じいちゃんに言えば何とかなると思っているうちは、まだまだロンさんもボケてる暇などないのだ。 

とはいえ、じいちゃん、ばあちゃん若くないから、お休みも必要なの。
そこんとこ、わかってあげて欲しいとは思うけど。

高松のばあちゃんがこんだけ近所だったら、私はどうしてたかな。
しょっちゅう、入り浸ってたかな。しょっちゅう「け」の練習させられてたりして。
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【2013/03/19 20:59】 | 紅蓮的日常
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