紅蓮の父親、ロンさんのあれこれ。 その他、家族のあれこれ。
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四年前の入院中、私は三回ほど泣いた。二回ほど精神的なプレッシャーに負けたのと、ドレーンのあとにホッチキス止めされたのとで、号泣。
生身にホッチキスって。・゜・(ノД`)・゜・。
殺す気か!

最初に泣いたのは、術後に病棟に戻ってきたあと。
どんなに頑張っても、ご飯が食べられなくて、そんな自分に腹が立って、おまけにご飯は全く味がしなくて(笑)、とにかく焦りだけしかなくて、つい病室で『ご飯が食べられん。味がしないし、しんどいだけや』って、泣いた。

そこへたまたま担当医がやってきて、母が『ご飯が食べられないみたいで…普段この子は泣くような事はないんで、よっぽどなんやと思います』とか言って、持ち込みの許可を取ってくれた。

だけど、子供の頃、私は泣き虫だった。
痛いにつけ、ツライにつけ、こわいにつけ、悔しいにつけ…とにかく良く泣いた。

そして、多分昔からガラが悪かった。

3歳頃に受けた手術のあと、看護婦さんに『くちょババア〜!( ̄Д ̄)ノ』と暴言を吐き、ドクターたちにアホのバカのと暴言を吐き、さっさとICUを出されたと母から聞かされた時は、何と無く我ながら目に浮かぶ…って思った。

基本は泣き虫だった。注射がこわくて泣き、さらに注射が痛くて泣き、泣き過ぎて母から怒られて泣き…とにかく、常に泣いていた気がする。
『それぐらいの事で泣きなさんな!』って怒られるたび、腹が立ったのを覚えている(笑)治療を受けて痛いのは、お母さんではなくて私のほうだ!と、腹立たしく思ったものだ。今思えば、母の方が大変だっただろうし、泣きたい事もあっただろうなと思う。

入院中。二回目に泣いたのは、数値を見て一喜一憂する母について行けなくなった時だった。
酸素の数値がちょっとでも上がれば喜び、ちょっとでも下がれば、『何で上がらんのか』と言う。
私はとにかく良い数値が出ることだけを意識して、だけどそんなの時の運みたいなもので、だんだん精神的にしんどくなったとき、たまたま回診にきた担当医に泣きついた。

しつこいけど、基本的にはヘタレで泣き虫なんで。

だけど、ある時『痛くても、悔しくても、こわくても、やたらと泣いてはいけない。』って思った出来事があった。

母は覚えていないと思うけど。もう、遠い昔のこと。
いつも通り兄貴とケンカして泣かされた時の事。
母は私にこう言った。
『そんなに直ぐに泣くもんじゃない。悔しかったら、やり返せ。そんなにいつも泣いてたら、大人になって自分の力で乗り越えないかん時にどうするの。泣く時は、誰にも見つからんところで泣く!本当に泣きたい時だけ泣きなさい!』

やっぱり、何と無くスッキリしなかったけど、多分きっかけは、そこだった。

いつの間にか、母が『(私は)我慢強くて泣かない子』と言う風におもっていた事に、ちょっと驚いた。

大人になるにつれて、自分の力ではどうにもならない現実に、どんどんぶつかって、その度に悔しい思いをしてきた。
友達を何人か見送った。悔しさとか悲しみとか、そんな気持ちが消化出来なくて、泣けない事が増えた。思い切り泣けば彼らは本当に遠い世界に行ってしまいそうで、泣く時はひっそりと泣いた。

基本は、どこまでも泣き虫だ。
だけど、昔よりは強くなった気がする。
まあ、歳をとれば当たり前のことかもしれない。

『悔しかったらやり返せ』
勿論、注射が痛いからって、刺し返すような事はしないけど(ー ー;)
たまにやってやりたくはなるけど。

泣き虫だった私を、八割ハッタリ人間に変えてくれたのは、母のあの言葉だ。

悪態をつきながら、試行錯誤しながら、生きる事にしがみついて、ここまで来れた。
周りの人に助けられ、ここまで来れた。

今になって思う。あの時、母はどんな気持ちで私に話しをしたんだろう。
まあ今さら母に聞いても記憶してないやろけどな(笑)

父は私には甘かった(笑)
今でこそ、孫優先だけど、基本的には私には甘い。
子どもの頃は、パパっ子だった。
あのワガママで短気な父が、よく私を見捨てずに育ててくれたもんだなと、改めてありがたく思う。

父も母も、病気持ちの私が生まれてからは、思っていた人生では無かっただろう。
そう思うと何と無く申し訳なくなり、ちょっと泣ける。
でも泣くと言うのも、それはそれで申し訳なく思う(笑)

最近は、甥っ子達の成長振りにちょっとうるっと来たりする。歳かなぁ(笑)
ヘタレな私は、ヘタレなりの人生をガンガン歩いて来た。この先も、それは変わらない。

なんて事を考えるのは、それなりに歳をとったと言う事かもしれない。

今日は誕生日。
もう40。まだ40。やっと40。
生きてきたと言うよりは、生かされてきたと言う感じ。
人は無駄に生まれる訳でも、無駄に生きる訳でもなく、無駄に死んでいく訳でもないと思う。

今日の日は、残された時間の最初の日。
同じ時間をそれぞれの場所で生きている皆にも、ありがとうm(_ _)m
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【2014/02/06 13:59】 | 紅蓮的日常
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